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3兄弟の長男として
生まれる! -
夏になると、
虫を追いかける日々! -
辛い。賢臓病で2ヵ月入院した。
2年ほど通院し食事・
運動制限もあった。 -
小学校2~4年まで習字と
そろばんの習い事。 -
小学校の部活サッカー部。
勢いあまってゴールポストに
ぶつかり前歯を折る。 -
サッカー部なしの為
中学は卓球部へ。
団体戦で岡崎三位になる。 -
釣りに熱中
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中二病発症
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初めての原チャ購入。
夜中に走り回ることも。 -
高校時代にパチ屋で大当たり
高校教師にばれかける
(相方は教師に捕まり停学) -
がちがちのヘビメタにはまり
ライブハウスでヘッドバンキング -
ほんの少しギターを借りてみた。
弾いてみた。
才能がないと知りすぐ返した。 -
初めての車、トヨタスターレット&
単車 ホンダNS250を購入 -
通学の途中に
パチ屋に吸い込まれてしまい
学校を休みがちに。 -
バイトを始める
まずはS社のテレビの部品作り -
コンビニでアルバイトするも
続かない。 -
クリーニング屋でバイトする。
前回よりは続いた。 -
ガソリンスタンドでバイト。
ここは三年間続き、
月収23万GET。 -
県内信用金庫 入庫。
(バブル最終組) -
入庫後、自分の親が会社を
経営していると知る。
(え、、こんな大きな会社、、) -
県内信用金庫時代、
お札を数える練習も不器用だった為、
毎日叱られていた -
雨・雪が降ろうが原付で
外回りは毎日。
べちゃべちゃになりながら
走り続ける。 -
成績が足りず帰社できず、
お客様の家で
ご飯を食べたことも、、、 -
ゼロヨンに熱中してた時代、
「日本最速ミッド」という称号で
車雑誌の見開き2ページを
独占した。 -
雑誌主催で県内のとある場所で
ゼロヨン大会が深夜に行われ、
そのまま仕事に行った事も。 -
走りこんでゼロヨンを極めて
いろんな形で結果が残り
努力が実を結んだと実感! -
三ヶ月単位で成績評価総合1位に!
表彰されたときはとても嬉しかった。 -
父親(先々代社長)が
脳梗塞で倒れた。 -
28歳で初めての結婚!
転職についてゆれ動く。 -
29歳の時に転職!
「ご先祖様の為にも!!」 -
三栄工業経理に配属。
「本当にトヨタ様と取引してたんだ」
と改めて会社の規模に気づく。 -
銀行では外回りばかりしてたので、
1日中社内にいることが
苦痛でならなかった。 -
暇すぎて経理メンバーを中心に、
フットサルチームを発足。
小学生チームからボコボコにされる。 -
娘とお出かけ中、
愛車スープラが盗難に。。。 -
取締役になる(初めての役員)。
更なる責任の重さを痛感。 -
初めて中国に行く飛行機に乗れず、
全身カチコチ、手汗びしょびしょ。 -
中国のカルチャーショックに
驚きつつもその魅力に惹かれて
更に中国にはまる。 -
中国のお姉ちゃんと
話したいという下心から、
中国語を覚えようと決意。 -
会社のあり方など、
社内構造改革を決意。 -
取引先に無理やりゴルフを進められ、
嫌々始める。 -
品質不良続出で、
謝罪の日々。
謝罪プロになる。 -
中国小会社の会長に就任。
(これで堂々と中国へ!) -
フィリピン小会社の会長に。
(フィリピンマンゴー食べ過ぎる) -
現地駐在員よりも
中国語が上手になる。 -
副社長に昇格。
気持ちの余裕が出てきて、
全力で楽しむことに! -
ついにインドへ・・・。
(カレーは美味かった) -
年の三分の一は海外出張へ
(海外担当という事を盾にして
海外いきまくり!) -
東日本大震災の復興支援の為、
指揮を執る。 -
お詫びの回数が増え、
この頃には謝罪名人級に。 -
社長に昇格する。
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責任の重さをピークに感じる
社長になり、社内構造改革第2弾! -
「社長!」と呼ばれなれないので、
照れることもしばしば。 -
中国人に間違われることが多発。
中国語で話しかけられることも頻発。 -
ストレスから、
毎週末トイレの神様になる。 -
中国出張中にパスポート紛失。
見つけてくれた人が、写真付きで
中国のネットニュースにのる。
(日本人を助けた英雄として) -
お正月に、自宅にドロボーが入る。
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50歳を迎え、次の世代に向け
バトンを渡す事を考えだす。 -
コロナに負けないよう、
トレーニングやストレッチなど
体力づくりに励む。 -
SDGsやカーボンニュートラルなど
未来への取り組みに力を入れる。